小栗判官物語

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2017/5/31 0:14 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2389 オンライン
和歌山県 湯の峯温泉には、小栗判官物語という逸話が語り継がれていて各所に説明の看板があります。その内容は、
引用:
小栗判官物語
このお話は、今から凡そ六百年程前の足利時代のことである。応永三十年、小栗満重(茨木県・小栗城主)は、鎌倉菅領・足利持氏の軍に攻められ落城。その子の助重(小栗判官)は父の命をうけ小栗家再興を誓い十勇士を供に夜陰に利して小栗城を跡にした。小栗主従は三河国(同族)をさして落ちのびる道中、相州(神奈川県)にて郡代・横山大膳に正体を見破られ酒盛りの場で毒殺されようとする。
照手姫の機知により一命を取り止めその場を逃れたものの毒の為重病の身となるが相模の国藤沢遊行寺十四代・大空上人に助けられ、熊野を目ざして難渋な旅を続け、道中幾多の人々の助けと照手姫の献身的な努力と情愛に支えられ湯の峯温泉にたどり着き、熊野権現薬師如来の加護と薬効名高き霊泉に浴すること百日余り、みごと本復し小栗家の再興を成しとげる。
この物語が室町。江戸と今日長い年月大衆文化とともに伝承された陰には熊野信仰や時宗聖(遊行僧)の説く仏教思想の影響も多大で書物や芸能文化として各地に行き続いてきました。又夫の為に身も心もささげた照手姫の愛の物語でもあります。当地には、小栗判官にまつわる史跡「つぼ湯・車塚・力石・まかずの稲・一遍上人爪書の岩・小栗街道」などが残されております。

平成四年 本宮町 本宮町観光協会
?

また別の看板には
引用:
小栗判官物語史跡
今から五百年余り前の事である。常陸の国の小栗判官は、相模の国の郡代横山将監の一人娘照手姫と恋に落ち、父の許しを得ず婿入りし、横山の怒りにふれ毒殺される。
照手も同罪として相模川に流される。その後人買に売られ苦難の日々を送ることになる。
小栗は閻魔大王の計らいで餓鬼の姿でこの世にもどされる。その後、小栗と照手は不思議な出会いをする。時宗藤沢の上人様のお導きをいただき、照手の愛と道中多くの人々の情わ受け「餓鬼阿弥車」は悲願の熊野湯の峯に辿り着き、熊野権現の加護と薬湯の功あって見事に元の小栗に回復する。

力石
小栗が湯治の間体力の回復を試すため持ち上げた大小の石を人々は「力石」とよんでいる。

まかずの稲
小栗が髪を結いていた「ワラ」を捨てたところに稲が生え、毎年実り続けることから「まかずの稲」と呼ばれている。
また、本宮と湯の峯の中ほどの道わきに、小栗が乗って来た「土車」を埋めたとされる「車塚」が町指定の文化財として保存されている。
熊野地方には、この物語にまつわる史跡が各所に残っている。
?

と微妙な違いはあるものの大筋では一致しているようです。この物語から湯治としての温泉の効能はあるのかも知れない。また、これらからちょっとした疑問が発生。もし供がいたのであれば毒殺されそうになった時どうしていたのだろうか。それはさておき、最も大きな疑問は、小栗判官はどのようにして小栗家を再興したのだろうか。

ここからは私の想像ではありますが、当時はほぼ戦国時代、元の体に戻れば自分を殺そうとした相手に当然復讐するであろう。父親とはいえ照手姫も人買に売られたとあっては承諾するであろう。従って、照手姫と一緒にまずは横山将監の所へ行き暗殺あるいは服従させ自分が婿であることをアピールし将監の座を乗っ取った後、その軍勢を生かし小栗城を奪還したのではないだろうか。
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