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北海道と宇和島を結ぶもの

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2010/2/19 0:39 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2400 オンライン
私が北海道、宇和島へと旅行へ行ってどうしても引っかかっていた事というのは、どちらも伊達という家名が出てきて、何の繋がり?なのかという事です。

ウキペディアにてちょっと検索してみました。

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伊達秀宗

政宗の長男であったが、生母の飯坂氏(猫御前)が側室だったために本家の家督を継ぐことができず、また、秀吉の側にいた身から徳川の世では仙台藩の藩主としてふさわしくないという理由で別家を起こすことを父・政宗が考える。慶長19年(1614年)の大坂冬の陣には父・政宗とともに参陣。戦後、徳川家康から参陣の功として政宗に与えられた伊予宇和島10万石を別家として継ぎ、その初代藩主となった。


伊達邦成

仙台藩の亘理(現、宮城県亘理郡亘理町)の領主で、戊辰戦争では海道筋に出兵。戦いに利あらず、逸早く講和論に転じて講和への道筋をつくった。明治に入ると、多くの家臣を養うことが不可能になり、家老常盤新九郎(田村顕允)の意見により1870年(明治3年)から家臣ほかを率いて北海道に移住、胆振国之内有珠郡、現在の伊達市を開拓した。


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ということで、年代は違いますが、伊達家繋がりが分かりました。伊達家というのは主として仙台が地元のようです。この地元を離れて、他の土地で藩主として、力強く生きているという事には感銘を受けます。

いくら諸事情があったとしても、知らない土地でそこを収めながら生きていくという事はなかなかできることではないでしょう。そういう意味では、伊達家の人は強い意志を持った優秀な人達が多かったのだと思います。

あるいは時代背景が自分の与えられた責任を果たさずには居られない厳しい世の中だったのかもと思ったりもします。いずれにせよ伊達という名前が実績を残し、今も広くその名を世に広めている事に変わりありません。
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