山口県 大板山たたら製鉄遺跡
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山口県 萩市の世界遺産に登録された明治日本の産業革命遺産の1つです。他の4つは萩市内に近くにありますがこの大板山たたら製鉄遺跡はちょっと距離があります。私は須佐町からの帰りに偶然前を通ったので寄り道です。世界遺産に登録されているということなので人もそれなりに多いかと思いきや平日ということもありほとんど居ない状態でした。入口には管理人さんがいてパンフレットを配ってくれました。正直、中の様子は遺跡とはいうもののなにも無いという感じです。
では、世界遺産の価値はなになのかというと、江戸時代から「高殿」という建物を中心に製鉄所として質の高い鉄が多く生産していたという生産技術なのです。また、1856年幕末期には萩藩初の西洋軍艦丙辰丸(へいしんまる)にここで生産された原料鉄を元にした釘や碇が使われたのです。しかし、ちょっと疑問が残ります。この製鉄所でどれくらいの鉄が生産されたのでしょう。現在の製鉄所と比べてどれくらいの効率差があるのでしょう。以下の写真は「高殿」と製鉄炉です。
ここで製鉄所としての操業は宝暦期(1751~64年のうちの8年間)、文化・文政期(1812~22)、幕末期(1855~明治初め)の3期稼働しています。しかし、なぜ長い期間(約50年)空けて3期に分けているかというと、製鉄の為に必要な燃料としての使う近辺の木が全て無くなってしまうからです。50年間木が育つのを待ってから次の操業を行っていたからです。
製鉄に必要なものは、砂鉄(原料)、木(炭としてエネルギーに利用)、水が必要です。砂鉄は船を利用し島根県浜田市から奈古港(阿武町)へ運ばれ、そこから9㎞の運搬路を馬を使って大板山たたらへ搬入されました。木は周りの木を切って炭にし、近くを流れる川から水を供給するのです。現在、近くにダムもあるくらいなので水は豊富だったと思われます。そして、徹夜で行われる作業の労働力は近くの村に家族ごと住まわせていたそうです。(当時労働の賃金は米だったとされています)労働力の維持形態は長崎の軍艦島と良く似てますね。
また、製鉄を指示する指導者によっても鉄の質に差があったとされています。
では、世界遺産の価値はなになのかというと、江戸時代から「高殿」という建物を中心に製鉄所として質の高い鉄が多く生産していたという生産技術なのです。また、1856年幕末期には萩藩初の西洋軍艦丙辰丸(へいしんまる)にここで生産された原料鉄を元にした釘や碇が使われたのです。しかし、ちょっと疑問が残ります。この製鉄所でどれくらいの鉄が生産されたのでしょう。現在の製鉄所と比べてどれくらいの効率差があるのでしょう。以下の写真は「高殿」と製鉄炉です。
ここで製鉄所としての操業は宝暦期(1751~64年のうちの8年間)、文化・文政期(1812~22)、幕末期(1855~明治初め)の3期稼働しています。しかし、なぜ長い期間(約50年)空けて3期に分けているかというと、製鉄の為に必要な燃料としての使う近辺の木が全て無くなってしまうからです。50年間木が育つのを待ってから次の操業を行っていたからです。
製鉄に必要なものは、砂鉄(原料)、木(炭としてエネルギーに利用)、水が必要です。砂鉄は船を利用し島根県浜田市から奈古港(阿武町)へ運ばれ、そこから9㎞の運搬路を馬を使って大板山たたらへ搬入されました。木は周りの木を切って炭にし、近くを流れる川から水を供給するのです。現在、近くにダムもあるくらいなので水は豊富だったと思われます。そして、徹夜で行われる作業の労働力は近くの村に家族ごと住まわせていたそうです。(当時労働の賃金は米だったとされています)労働力の維持形態は長崎の軍艦島と良く似てますね。
また、製鉄を指示する指導者によっても鉄の質に差があったとされています。
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