明石空襲の碑に思うこと

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2018/2/15 10:46 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2389 オンライン
最近、地元の人から戦時中(昭和20年)に空襲で明石公園に避難した人が被災し大勢亡くなり碑が建てられているということ聞きました。確かに明石公園内に「明石空襲の碑」として建てられています。実際空襲は昭和20年に5回も受け、川崎航空機明石工場を狙ったものとされ、最終的には市の中心部6割3分が消失しています。川崎の工場から明石市中心部まで約2キロ。個人的な見解ですが、軍需工場を狙ったというものの一般人を巻き込みここまでする必要性があったのか疑問に思います。
明石市における戦災の状況(兵庫県)

また下記の証言ではその詳細が記されています。
広報あかし 平成25年(2013年)8月15日 空襲体験者が語る「明石の空襲」

この中で、驚いたことに「パイロットの顔がはっきりと見えるほど近くから、容赦ない機銃掃射(銃撃)を受けました。」と記載されています。明らかに一般人を狙ったものだということになります。最近でもアメリカでは銃乱射事件で一般人が被害に遭うことがあります。ただ、これを容認する人は殆どいないでしょう。しかし、常軌を逸した状態の戦争という場面では容認されてしまうのです。

よく聞かれる言葉ですが「あなたの息子を戦争に取られても良いのですか?」と問いかける人がいます。もし戦争を想定しての言葉であれば、この事は悲惨な戦争全体の一部だけを切り取って自分の都合の良いように誘導する姑息な詭弁だと思います。なぜなら実際戦争になれば上記のように自分の大切な家族、親戚、友人、家、財産、生活もすべて失ってしまうからです。本当に考えなければならないことは大切なものを守る為に、具体的にどうやって戦争を回避するのかということです。
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