淡路島 由良城について

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2024/4/4 20:47
タツ  管理人   投稿数: 2409
淡路島の洲本城は有名ですが、その前身となる由良城についてはあまり語られることはありません。室町時代から続く城の移り変わりを追ってみました。

①由良古城
室町時代(1338年~1573年)にこの地で水軍として権力を持っていた安宅氏によって築城されるが1581年豊臣秀吉によって開城。 

②由良城
江戸時代1613年姫路城藩主池田輝政の三男池田忠雄は成ヶ島に由良城を築城

③洲本城
江戸時代1615年に阿波藩領となり1631~35年に由良城から城郭を洲本へ移城

さて、現地に行って次のような疑問が湧いてきました。

②の由良城は脆弱な造りだったのではないか?
1613年成ヶ島に築城した由良城ですが、短い期間(17年)で移城しています。洲本城のほうが便利だということが一番の理由になっていますが、実は城自体があまり丈夫でなかったのではないかという疑問です。なぜなら、石垣が転用されたというものの、由良古城に比べ石垣の劣化(崩れている)が進んでいるように見えます。また、敷地面積はわかりませんが、広さに関しても圧倒的に由良城のほうが広くそれだけ傷めば傷も大きいと思われます。
そうなった要因として
1.築城して2年後に阿波藩領になったことから事前に領土が変更されるのを知っていて池田忠雄は仮として手抜きで城を作ったのではないか。
2.内陸よりも外側にある島の頂上のため風雨の影響が大きく早く劣化したのではないか。
と考えられますが定かではありません。

成ヶ島は沈んでいる?
地元の人によると子供の頃から比べると沈んでいるという話を聴きました。本当かどうかはわかりません。この話を聴くとすぐに温暖化ということに結びつける人が多いと思います。しかし、もともと成ヶ島は陸続きでした。1765年正月から1年9か月を掛けて北側に大型船が入れるように北側の掘削工事をしています。その後古い港口は波のために埋没し1789年南側が掘り開かれた。これは北側の入口の掘削工事を行い広げることによって25年後南側が波によって埋没したと解釈されます。現在それから250年位経っています。別の角度から考えれば波によって浸食されているとも考えることができます。そもそも成ヶ島だけが沈んでいくということは考えられません。しかし、成ヶ島は自然環境が良い場所です。無人島だとは思いますが、電気も水道もそろっています。

水軍としての地理的立地条件?
戦国時代、淡路水軍の中心であったというのは頷けます。南側には紀伊水道を見渡す高台(生石)があり、由良港は成ヶ島で風も弱くなり船も付けやすい。水軍としての立地条件としては最高の場所ではないでしょうか。戦時中に砲台が設置されたのも分かります。一昔前までは自衛隊の基地もあったそうです。

由良古城の人はどうなったか?
はて、1581年豊臣秀吉によって開城されましたが、城に居た人たち一族郎党全て殺害されたのだろうか。豊臣秀吉のこれまでの経緯からその可能性は非常に高いと推察されます。

城と神社は一緒になっている?
城の中に神社があるというのは特に珍しくはないように思います。そして由良の城の中に成山神社があったとも考えられます。由良には成山神社なるものが3つあります。由良古城跡、成ヶ島の由良城跡、由良の街中です。地元の人の話によると成ヶ島の成山神社はこちらに移したということでしたが、おそらく由良の街中にある成山神社に移したということではないでしょうか。
 
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