なぜ、パレスチナ難民となったのか

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なし なぜ、パレスチナ難民となったのか

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿なし | 投稿日時 2023/12/19 7:50 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2400 オンライン

なぜパレスチナ難民となったのかという原因について、殆どの日本の専門家はイスラエルによる入植によって追い出されたと解説し、それが通説となっています。
しかし、次のように根拠をもとに全く違った解説をしてるものがあったので備忘録として残したいと思います。

第1次難民

イスラエル建国前
イスラエルはイギリス領であったにも関わらず、領内でも、また国境を越えてシリアとレバノンから攻撃を受けていた状態であった。独立後はアラブ5か国が入ってきて戦争し、短期間で終わると見込み、独立前にパレスチナ人でパレスチナに住んでいる人、特にユダヤ人たちがたくさん住んでる割当地のところにいた少なくとも2万人以上の裕福な人たちはベイルートに避難したが、結果的に戦争に負け戻れなくなり難民となった。

第2次難民

イスラエル建国後
アラブ側(アラブ高等委員会=アラブ世界を統括する組織)の呼びかけで、このユダヤ人の割当てのところにいる多くのアラブ人たちはそこを出なさいという命令を受けていた。我々アラブ軍(6か国)が攻め込んで行った時にどれがユダヤ人でどれがアラブ人か見分けつかないから出て行って巻き添えを食わないように、また、数日ですぐ戻れ、しかもユダヤ人たちの財産を自分たちのものにすることができると呼びかけた。しかし、結果的には戦争に負けもとに戻れなくなり非常に多くのパレスチナ人が難民となった。

つまり、アラブ側はイスラエル建国後はイギリス領という制限がなくなり、アラブ6か国で攻撃すれば数日間でイスラエルを殲滅できると考え、パレスチナ人の住民を出ていかせたが、結果的に戦争に負けて出て行った住民は戻れなくなり全てが難民となったということです。

この解説の根拠として次のようなことをを挙げています

元サウジアラビア情報大臣であるムハンマド アブドゥ ヤマニ(元アブドゥルアズィーズ大学学長) の話として   1990年10月24日 サウジアラビアの新聞 ウカジ(Okaz?)に掲載された

アラブ諸国の軍隊がユダヤ人の手から解放するためパレスチナに侵攻したとき何が起きたのであろうか。

「軍司令官たちはアラブ住民に対し数日間で良いから土地を離れよ。戦争が終われば戻れると言った。パレスチナ人は土地を離れた。アラブはパレスチナ解放に成功した。そしてその後馬鹿なことに停戦に合意しイスラエルの存在を許したうえにパレスチナ人を離散状態に放置してしまったのである」

 

アメリカ国務省 ハイファのアメリカ領事館領事だったオーブリリッペンコストが1948年4月26日本省宛てに打った報告電文が公開されている
「当地方を統治するムフチ(イスラム教指導者)たちはアラブ人全員、町を退去せよと勧告し大勢の者が去っている」と報告している

引用:ハマスのプロパガンダを撒き散らす日本の中東研究者たち 1か月前
 

ここでは公開情報を根拠として解説しているので全く根拠を示さずこうですよと解説する専門家よりその信頼性は非常に高いと思われます。

日本のネットではアラビア語の正確な名前すら検索することはできずこの公開情報を見つけることはできませんでした。英語、あるいはアラビア語が堪能であれば見つけることができるかもしれません。このように、日本においては肩書のある、あるいはテレビによく出てくる専門家に頼らざるを得ず、仮に根拠がなくとも専門家のいうことが印象付けられます。

日本の専門家の多くは反イスラエルの立場をとっていることが多く、アラブ寄りの立場をとっています。例えばこのようなアラブにとって不利な情報というものは出さない傾向にあることが分かります。これを知らないはずはないと考えられます。そのうえで、この事実を挙げて解説することはないとすれば公平性はなく偏っているとしか言えません。いくら有名で肩書があったとしてもそれは専門家でも研究者でもないと言えます。

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