共産主義は社会のための人民

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2021/1/5 18:46
タツ  管理人   投稿数: 2140

社会主義というものはより平等で公正な社会というものを唱えています。しかし、この共産主義思想を根底とする社会主義思想は社会のための人民であるということです。つまり、指導者が考える、より良い社会ためには反発する人民は全て処罰しても良いということです。実際にこの思想により多くの人民が虐殺されています。(それぞれ色々な諸説があり正確な数字というものではなく暫定と思われます。ソビエト連邦スターリンの大虐殺2000万 毛沢東6000万 カンボジアポルポト200万)

■ソビエト連邦スターリンの大虐殺
引用:
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/04121130/?all=1
スターリンは、4000万人のソ連国民を殺した Foresight 2018年4月12日掲載 マーティン・メイリアは、『ソヴィエトの悲劇』(草思社)の中で、スターリン時代を通じての政治的原因による死者を、合計2000万人と推計している。内訳は、強制収容所での死者1200万人(収容所に常時800万人の囚人がおり、その1割が毎年死んだとして、1936年から1950年までの累計)、1937年から1939年の間の粛清による処刑者100万人、農村集団化の犠牲者600万人、である。

■中国の毛沢東による大躍進政策
引用:
大躍進政策 (wikipediaより抜粋)
中国共産党中央委員会主席毛沢東の指導の下、1958年から1961年までの間、中華人民共和国が施行した農業と工業の大増産政策である。1959年、あるデータでは大躍進政策による餓死者数は3,635万人であったという。 犠牲者数には諸説あるが、中国統計年鑑2017年版ですら1625万人もの人口減が確認できるほどの大飢饉であった。 中国共産党の内部文書には1958年から1965年の間に4500万人が大飢饉で死亡したと記録されている。

■中国の毛沢東による文化大革命
引用:
文化大革命 (wikipediaより抜粋) 中華人民共和国で1966年から1976年まで続き、1977年に終結宣言がなされた、中国共産党中央委員会主席毛沢東主導による文化改革運動を装った毛沢東の奪権運動、政治闘争である。各地で大量の殺戮や内乱が行われ、その犠牲者の合計数は数百万人から1000万人以上ともいわれている。またマルクス主義に基づいて宗教が徹底的に否定され、教会や寺院・宗教的な文化財が破壊された。特にチベットではその影響が大きく、仏像が溶かされたり僧侶が投獄・殺害されたりした。内モンゴル自治区においても権力闘争に起因し多くの幹部・一般人を弾圧、死に追いやった内モンゴル人民党事件が起こり、モンゴル人ジェノサイドが発生したほか、旧貴族階級などの指導階級を徹底的に殺戮した。新疆でもウイグル人による抗議活動が完膚なきまでに弾圧された。

■中国の天安門事件
引用:
四五天安門事件(wikipediaより抜粋) 1976年4月5日、広場を包囲した民兵・警官隊が群衆を襲撃した。当局は「この騒動で388人を逮捕し、死者はゼロ」と発表したが、実際の犠牲者や逮捕者は不明である。

六四天安門事件(wikipediaより抜粋) 1989年6月4日 抗議者に対する中国共産党による武力弾圧に対しては、国内はもちろんのこと国際社会から痛烈な批判を浴びた。 犠牲者の数は後述のように諸説あるが、319人(中国共産党の発表)~1万人を超える(英国政府の公文書)とも言われている。

■カンボジアポルポト政権による人民の大虐殺
これに関して次のような記事があります。カンボジア特別法廷(1975年4月から79年1月までカンボジアの政権を握り、自国民を大虐殺した毛沢東追随集団ポル・ポト派の元最高幹部を裁く法廷。「国際基準を持つ国内法廷」という国連とカンボジア政府の合意に基づき2004年にプノンペン郊外に設置され、06年に始動しました。)での判決です。
引用:
https://www.bbc.com/japanese/46231709
クメール・ルージュ指導者に有罪判決、大量虐殺の罪では初 カンボジア 2018年11月16日
カンボジアでは1975年から1979年の間、短命だったが残忍だったクメール・ルージュ政権の下、最大で200万人の死者が出たと考えられている。死者の多くは飢餓や過度の労働に倒れたか、もしくは国家の敵として処刑された。・・・・
クメール・ルージュは急進的な毛沢東主義者の勢力で、旧支配勢力を打倒して新政権を樹立し、1975年から1979年にかけてカンボジアを支配した。指導者は政治家のサロット・サルだが、改名後のポル・ポトとしてのほうが有名。フランスで学んだ知識人らが樹立した政権は、自立的な農業社会の創出を目指した。都市からは人が消え、そこにいた住民は地方の農業協同組合での労働を強いられた。多くの人が死ぬまで働かされ、飢えに苦しんだ人も多く、同国経済は崩壊した。権力を握り暴力的な支配を行った4年間で、クメール・ルージュは自分たちの敵と認識した対象を全て拷問し、殺害した。その対象は知識人や少数民族、前政権の当局者、そしてこうした人々の家族にまで及んだ。
 

共産主義思想を根底とする社会主義国による虐殺には以上のようなものなどが挙げられます。虐殺と言えばすぐにドイツのヒトラーによるホロコーストが引き合いに出されますが毛沢東の大躍進政策、文化大革命、のほうがはるかに多くの人が犠牲になっています。

これらの中でもカンボジアでは残虐な方法で虐殺された人民が全人口の1/2~1/3とされています。ということは少なくとも3人に1人、3人家族なら家族のうち1人は虐殺されていたということになります。当時、少なくともこの虐殺を実行する人の中にはきっと疑問を呈する者もいたでしょう。しかし、それを唱えれば逆に殺戮される側になってしまい議論の余地すらないのです。こういう社会の仕組みが共産主義思想というものなのです。ただ、このカンボジアポルポト政権による人民の大虐殺についてはカンボジア特別法廷という場で審議され、負の歴史としてこの先記録として残ることになります。この先、カンボジアにとって過ちを繰り返さない1つの歯止めとなるよう期待したいものです。

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