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日本が戦争放棄してからの日本に関わる紛争(その2)

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なし 日本が戦争放棄してからの日本に関わる紛争(その2)

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前の投稿 - 次の投稿 | 親投稿 - 子投稿.1 | 投稿日時 2020/12/3 21:23 | 最終変更
タツ  管理人   投稿数: 2150

■戦後中国の内戦による領土の拡大

辛亥革命(1912年、皇帝政治の終焉)以前、清の時代(1644年から1912年まで)は少数民族である満州人が民族の9割を占める漢民族を支配していました。この革命は、皇帝政治から民主化への革命と同時に少数民族である満州人支配の状況からの漢民族の国家回復を目指すものでもあります。
引用:
清 - Wikipedia
清(しん)、または大清帝国(だいしんていこく)は1616年に満洲において建国され、1644年から1912年まで中国とモンゴルを支配した最後の統一王朝である。首都は盛京(瀋陽)、後に北京に置かれた。満洲族の愛新覚羅氏(アイシンギョロ氏)が建てた征服王朝で、満洲語で(ラテン文字転写:daicing gurun、カタカナ転写:ダイチン・グルン、漢語訳:大清国)といい、中国語では大清と号した。清朝、清国、清王朝、大清国、大清ともいう。

引用:
内モンゴル独立運動 - Wikipedia
辛亥革命後、1912年1月1日に漢民族によって中国本土に中華民国が建国されると臨時大総統に就任した孫文は漢人・満州人・モンゴル人・ウイグル人・チベット人を一つに合わせて一国とする旨を宣言した。

辛亥革命後時点では、そもそも多民族国家であるということを認識していたということになります。しかし、この宣言通りにはならず、それぞれの民族が独立の宣言、あるいは意志を示しています。日本の戦後(1945年)以降、中華民国(蒋介石側)と中華人民共和国(毛沢東側)の内紛を制した中国共産党はそれぞれ独立している(領土を確保し、政治経済的に自立している)少数民族(満州・モンゴル・ウイグル・チベット)に対し、これらの民族を武力であるいは武力を背景に領土を接収しています。
 

■チベット

引用:
中華人民共和国によるチベット併合- Wikipediaより
中華人民共和国によるチベット併合とは、中国共産党がチベットを支配するようになる過程を指す。併合は、1.チベットの東北部・東部に限る併合(1948 - 1949)2.中央チベットに及ぶ併合(1950 - 1951)の二段階に分類される。中国では18世紀の雍正のチベット分割以来、後者の領域を「西藏」と名付けており、中華人民共和国は、後者を指して、特に「西藏和平解放」(シーツァンホーピンチエファン/プーシーウェーチンドゥル)と名付けている。
「第一段階」では、中華民国の青海省長馬歩芳や西康省長劉文輝らを降してアムド地方やカム地方の北部・東部・南部を制圧、ついで「第二段階」でチベット政府ガンデンポタンを屈服させ、カム地方の西部やウー・ツァン地方、ガリ地方を制圧、これにより、中華人民共和国は、チベットの全域を制圧することとなった。
チベットおよび西側諸国では、この併合を「侵略」としているが、中国共産党は「西蔵人民」の「帝国主義侵略勢力および国民党反動勢力」からの「解放」と位置づけている。
これを契機として、中国政府とチベット政府ガンデンポタンの間で「十七か条協定」が「締結」され、チベット軍は中国人民解放軍に編入され(同協定第八条)、チベットの全域が中華人民共和国の支配下に入った
辛亥革命後(1912年)にチベットは自立し、第二次世界大戦においては中立政策を保持していた。ただし第二次世界大戦におけるチベットは、中立政策を掲げながらもイギリス軍やアメリカ軍などの連合国軍へ、中華民国への兵站線を提供していた。
当時のチベットの指導者は第14代ダライ・ラマであった。第二次世界大戦が1945年に終結すると、インドと中華民国に代表団を派遣してチベットの主権を確立しようと試みたが、中国国民党内の強硬派の抵抗にあって失敗し、さらに主権確立、つまり完全独立への画策は同年に勃発した国共内戦で先送りにされた。
1949年の時点でチベットおよび西側の報道では、この侵攻を一般に侵略と呼んでいた。例えば亡命チベット人のペマ・ギャルポは「チベットは歴史が始まってからずっと独立国家であった」と主張する。一方、中華人民共和国内では、この事件を、「チベットの平和的な解放」と呼んでいる

 

■新疆ウイグル自治区

引用:
辛亥革命の後、清朝の版図を引き継いだ中華民国に属しながらも、漢民族の省主席によって半独立的な領域支配が行われた。これに対して1933年と1944年の二度にわたって土着のムスリム(イスラム教徒)によって民族国家東トルキスタン共和国の建国がはかられたが、国共内戦で東トルキスタン共和国のセイプディン・エズィズィと新疆省のブルハン・シャヒディらが中国共産党に帰順したことでこの地域は中国人民解放軍が展開し、1955年に新疆ウイグル自治区が設置された。
1966年には自治区内に文化大革命が波及。こと文革に関しては、少数民族を多く抱える同自治区の闘争は中国の他地域と比較してある程度は抑制されていたというが、それでも一部で行なわれたモスクの破壊や紅衛兵同士の武装闘争により、混乱に拍車がかかった。

 

■内モンゴル自治政府

引用:
内モンゴル独立運動- Wikipedia
1932年に関東軍が清朝皇帝であった溥儀を執政とした満州国を建国した。これにより内モンゴル東部は満州国となった。満洲国では清王朝以来続く満洲・モンゴルの友好血縁関係からモンゴル人は積極的に満州国皇帝に仕えた。1935年3月、ソビエトは内モンゴル東部(満州国内)に権益を持っていた北満鉄道を満州国に売却する。内モンゴルの中部ではチャハルのデムチュクドンロブ(徳王)やユンデン・ワンチュク(雲王)などの王公によって自治要求運動がなされるようになり、1936年には自治を求める内モンゴル軍(ru)と中華民国軍とが全面衝突した(綏遠事件)。1939年、デムチュクドンロブは日本の支援を受けて蒙古聯合自治政府を樹立し内モンゴルにモンゴル人による自治政府が誕生した。ただし、総人口525万4833人のうち漢民族が9割の501万9987人に対してモンゴル人は15万4203人だった。満州国とともに蒙古聯合自治政府はそれぞれ独自の行政機関・軍事組織・通貨をもつなど中国本土とは完全に分離した政治経済体制であった。
1941年4月13日、日ソ中立条約がソビエト連邦と日本の間で締結され、満州国(内モンゴル東部)とモンゴル人民共和国(外モンゴル)の領土保全と相互不可侵を約束した共同声明が出された。ところが、1945年2月11日にソビエト連邦・アメリカ合衆国・大英帝国はヤルタ会談を開き、満州を中華民国のものとし、北満鉄道・南満州鉄道をソ連・中華民国共同のものとすることを取決め、外モンゴルのみを独立させ、内モンゴルを中華民国の影響下とした上で現状維持とすることをモンゴル人・満州人の意志とは関係なく決定した。
1945年8月、ソ連対日参戦によるソビエト連邦軍(赤軍)とモンゴル人民共和国軍の侵攻に満州国(一部が内モンゴル東部)と蒙古連合自治政府は崩壊する。


■満洲

当時ソ連が制圧後、意図的に中国共産党に引き渡されたとされています。
引用:
文教大学国際学部紀要 第16巻1号 2005年7月
戦後初期の満州における中国共産党の「政府」樹立工作
https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjz5f3ox_LsAhWac3AKHQEtAiAQFjAAegQIAxAC&url=https%3A%2F%2Fbunkyo.repo.nii.ac.jp%2F%3Faction%3Drepository_uri%26item_id%3D3601%26file_id%3D37%26file_no%3D1&usg=AOvVaw0tY7JOBCjMnQ_98hiGR3Hy
丸 山 鋼 二
中華人民共和国は、第二次大戦後に中国大陸で勃発した国共内戦に中国共産党(中共)が勝利した結果として建国された。その国共内戦では、満州の戦場での勝敗がとりわけ重要な役割を果たした。戦後初期(1945年9月~11月)、いまだ国民政府軍が満州の地に到達していない時に、いち早く満州への進軍に成功した中国共産党は満州駐留のソ連軍に対して「ひそかに」支援と協力を求めた。その支援・協力内容は、
①中共軍が関東軍・満州国軍の武器弾薬類を獲得することを支援してくれるとともに、満州国の有する工業設備や軍需工場を接収できるように軍事面での接収に協力してくれること②ソ連軍の撤退時期を延期するとともに、11月と12月の2ヶ月間蒋介石軍の東北への進駐を拒否してくれること、③中共がすぐに政権を接収し自治政府を民選できるように許可してくれること、の3点にまとめることができる。
ソ連軍の満州からの撤退が当初予定よりも延期されれば中共軍はソ連軍から暗黙の支援や積極的な協力をより多く得ることができ、そして事態が中共の思惑通りに進めば全満州を独占することも夢ではないと、毛沢東さえも期待を寄せていた。そのためには、大軍を進軍させている中共軍主力部隊が国民政府軍に先行して満州に到着し自力で国民政府軍の進駐を阻止できるようになるまでは、ソ連軍が国民政府軍の進駐を拒否し続けていてくれることを期待していたのである。・・・
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